輪になるか?それともとんがるか?
11月になってもさぶいもんです。
ここに来ての受注状況は酷いもんで、日に3ケースもあれば良い方です。
正直喰えるわけ無いですよ。
年内はこんな調子で推移すると思います。
歯科技工も医療の端くれだからと、がっついた営業をかけるより、いただける仕事を先ずは患者さんの為にとこなしてきたわけですが、お得意先の先生も患者さんが減るばかりだし、私の料金だと多分相場より割高だろうから(それにしても原価割れ、保険点数の5割6割ですけど)営業をかけようと思ったら、毎日何10軒も駆けずり回って料金も下げてそれでいて品質は今と変えずに維持せねばならないとしたら。
医療であり社会保障なのだから、利益や営業や過当競争は結局業界全体が疲弊するだけなのだけど、なぜにこうまで酷くなってしまうのか。
輪や和を信じていた私が馬鹿だったとも言えるけれど、決してそれだけではない社会の変化風の変化があったのだと思う。
以下、東京新聞11月6日特報面から抜粋
「加藤氏は北朝鮮問題での政府・自民党の強硬姿勢や、右翼勢力でさえ「自分たちには言えない」と嘆くほど過激なナショナリズムがオピニオン雑誌にあふれる現状に危惧(きぐ)を表明。実家の放火事件について「時の流れ、時の風が真犯人じゃないか」との見解を述べた。テレビで靖国参拝反対の論陣を張った学者が、何者かに「子どもの通学路を知っている」と脅され、出演できなくなったという話も紹介。「日本のナショナリズムが極端な方向に行くと、かなり用心しなければならない。私の仕事は今まで通りの発言を続けることだ」と語った。」
加藤氏とは元自民党幹事長の加藤紘一氏である。
ここで加藤氏が言う風とはどんなものであろうか?
元から日本にあるアンダーグラウンドに蠢く利権や権力なのであろうか。
それとも、日本の民意の流れなのだろうか。
一つはっきりとしているものがある。 所謂外圧と言うものである。
こればかりははっきりとしているし、圧力をかけてくる国の大使館HPにはわざわざ日本語に約した全文が隠すどころか当然の主張として乗っている。
そんなのは関係ないよと言い切れるだろうか。
昨日今日始まった事ではないのだ。 「拒否できない日本」によれば、始まったのはレーガン大統領の時代からだと言う。
政治とはこれだけの長期展望で読まなければならないのだとしても、外圧と言う風は、日本にあった輪や和というものを吹き飛ばしてしまった事だけは確かなようである。
日本が主権国家であることを放棄せねばならないのは何故なのか。
憲法の見直し論議も、核武装の話も、教育基本法の改正も、何も無い所から生まれた話ではない。
日本が主権国家として矜持を示す為になさねばならぬ事を行おうとしている故なのでろうか。
某国家の外圧と言う内政干渉やイニシアティブとどうどう主張する年次改革要望書。
日本がその要望を唯々諾々飲まねばならない根拠や弱みは何処にあるのか。
私はそれを問いたい。
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