歯科業界が創ったのはお伽の国か?
昨日は家族サービスでディズニ-ランド。 頚椎症を抱える身では地獄の一日でした。 ディズニ-ランドに行って、この国の何処が不景気なんだ貧しいのだと思うはずなんですが、現実には経営側の気持ちの貧しさを実感。 混雑と行列とは覚悟して居たが、想像以上。どのアトラクションも2時間3時間待ちは当たり前。皆文句も言わずに並んでいる。
並ぶのが分っていても来る訳だが、経営側にしたら空間に入るだけ入れてしまえば勝ち。 入場者がどれだけ並ぼうが、食べる所も休む所もトイレも足りなくて疲労困狽しようが、お構いなし。 あそこは入場料さえ入ってくれば経営者としては儲かるシステムだから、時間制限や入場制限、定数制など頭に無い訳でしょう。
フリーアクセスが保証されているようでいて、入場者のアメニティーは、経営者の思惑にというか入場料にプレミアムを生じさせないという理由からか、無視されているように感じました。 入場する事自体に意味があるのだと言うのかもしれませんが、延々並ぶ方にとっては、又、アメニティや飲食に選択の幅がまったく無い環境にぎゅうぎゅうになって押し込まれた環境は、なにやらアメリカ的な価値と経済に支配された牛詰国家の縮図のように思えました。
宣言に何を盛り込み、何を意図とし、何を国民に伝えるのか。 社会保障の本来の意味を再考したくもある。 知りだしたばかりで再考も糞も無いかもしれないが、薄々感じていた事に、やっと説明する「言葉」が見つかったと言うのが今の段階。 もっと考察せねばならないと思うが。
国が効率性や経済再建の為に切り捨てようとしているのが社会保障なのだろう。 入場はさせる、しかしサービスやアメニティの向上等は頭に無い。 国さえ儲かれば、存在すればそれでいいということだろう。 我々はディズニ-ランドのような社会の中で、ターキーを必死で売っているような状況かもしれない。 我々は増えすぎていると高いものを売っていると非難されているが、患者さんは並んでいるお客さんばかりではない。 入場していても、並ぶのに疲れ果てていたり、食べたくない人も居るだろうし、そもそも入場すら出来ていない人も存在するのだと思う。
何処までを国家と言い、社会保障の範疇とするべきかは議論すべき問題であるが、その範囲を狭めると言う事を我々が盛り込んだり提言するような事があれば、それこそ、縮小論に走っている国家や行政側にとっては願ったり適ったりであろう。 歯科技官があれこれ難癖をつけてルールを恣意的に歪めてでも圧力を加えてくるのは何故か? 彼らとて国の意向役所の意向を知らぬわけが無い。 こんな圧力を受けるくらいなら、こんなに財源も無く予算も縮小されている状況なら止む無しと言う意識を、我々に植え付ける意図も在ると思うが。混雑していても並ぶのが分っていても、得するのは経営者だけであると分っていても入場するお客に在るのは諦観であろう。 我々も知らず知らず脳裏に諦観を埋め込まれ、社会保障と歯科医療の役割も制限され縮小されるのが当然と言う意識を持つようになり、反論し様にも自己憐憫が先に立つような有様だ。
実現可能な宣言や、受け入れられる提言をするのは如何にも現実的である。 それは、ディズニ-ランドが湾岸に在っても、そんなもの存在しない、目にも入らない、行く事を夢想することも無い、それでもこの国を構成する人達を切り捨てる意志を宣言するようなものだ。 多分、大多数の国民が、諦めてしまい声も出さないのだろうしみんなの歯科がそんな宣言を出していたと言う事すら関係のない事だろう。
関心を持ち積極的にかかわるべき立場の人が容易に自己の利益に流れてしまうからこそ、そこを埋め合わせる為に制度が存在し制約を加えてでも責任を負えと求められているのである。その根本的な理念を忘れて、社会保障にも言及するような宣言を言えるのかを我々は自問しなければならない。
社会保障というのは、本来そういう人たちにこそ届くべき意味の事じゃなかったのだろうか。 我々が存在しつづける為には、現実的で実現可能なことに限定するべきだと言う事自体が、ものすごく自分達の保身のためにと偏った意見に思える。 現行の制度を洗い出す過程で、制度の問題よりもその内容に新たな制約や盛り込みを言うのもまた、自分たちも技官と同じ発想に立っているようにも感じる。 歯科医療関係者が社会保障の本質に遡って議論し、提言する事は身の丈を省みない出すぎた事だろうか。
逆だと思う。 差額にしろ自費にしろ歯科医療業界が自己の生存の為保身と贅沢なそして、見得の為に作り上げて国民に納得させようとしてきた理屈ではなかったのか? そこに社会保障の一翼を担うと言う意識の一辺でも存在したのだろうか。 ディズニ-ランドに入場し、並ぶのも待つのも嫌だから、自分たちだけのアトラクションを作ってしまえというのが歯科医療業界だった。 湾岸の埋立地に作られたお伽の国だけが日本の社会ではない。 今日もまた春の柔らかな日差しは日本中に降り注いでいる。
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