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August 2007に作成された記事

August 22, 2007

歯科業界は原点に戻れ

其の場しのぎの応急処置で、医療保険制度の延命を図っているのが厚生労働省なのかと思えています。

歯科医療業界の環境がここまで悪化してきたのも、我々末端のものにも大きな責任があります。 
時々、その責任について鶏が先か卵が先かと考え込んでしまうときがあります。

歯科業界が、最先端の診療技術を補綴も含めて医療保険制度の中に積極的に組み込んでこなかった事実を皆さんは当然だとお考えでしょう。
そうでなければコストも転嫁できないし、自分達の利益も出でませんから。

しかし、医療の進歩が国民に広く還元されるように願うならば、医療保険制度の中に、取り入れるようにしてくるべきだったと思います。
ただ、歯医者の馬さんで報告されているように、中医協での診療報酬改定が現状のままで進めば、医科がどれほど最新技術や医療を保険に取り込んできていても、結局のところ国の方針、裏を返せば米国の要求や財政状況には抗えないのだと言う事になる。

元より歯科診療報酬が現実に沿わないほど低価格だったから、自費でということだったのでしょうが、その考えが歯科業界のエゴであった為に、本来なら診療内容や診療技術が高度化しよりよい歯科医療が患者さんや国民の口腔健康に付与すべきはずが、目先の収入、それは自費でも保険でも変わらないのですが、要は、医療より補綴が収入源となり、
歯科医院は歯科医師の診断力、診療技術や治療行為に対して評価がなされず、その質がブラックボックスの補綴だけに頼った歯科医療業界に成ってしまったのだと思います。

今の歯科医師は果たして医師と同じなのか?

整形外科医、小児科医、産婦人科医や精神科の医師など、それぞれ専門分野を持つ、医師達と同じく、歯科医師も人間の体のパートを診療し治癒させる専門医なのか。
大工に例えればわかりやすいか。
歯大工と揶揄されるくらいだから。
現状では、歯科医師は歯周病すら完全には直せない。
その完全な治療法は確立していないと思うが。
できることは口腔内の歯科医師の責任の及ぶ範囲に出来た腫瘍の外科的処置やSRP、ブラッシング指導などの予防行為、そして虫歯の治療だ。
一旦虫歯になった歯は、治癒させる事も崩壊部分を再生させる事も現時点では出来ないので、補綴処置以外に方法は無い。
歯科医師と歯科技工士の関係は、大工さんと指物師の関係に近い。
歯科医師は家全体を直せるとか建てられるわけではなく、玄関だけが守備範囲の大工さんのようなものだ。 そして歯科技工士はそこに収まる玄関の引き戸や下駄箱を作っているようなものだ。
玄関全体を調和させたりリフォームするよりも、単品としての引き戸や下駄箱の売上ばかりが大きくなり、歯科医師はいつしか本来の自分の行為が少しも評価されていない事に愕然としているのが今ではないだろうか。

そんな状況を招いたのは、歯科医師会の体質や行動に大きな責任があるが。

歯科技工士は医療保険制度とは関係ない立場なのだから自由に動き自由に発想して良いのだという。
医療保険制度での歯科技工士の立場や収入、労働環境に不満があるのなら、厚生労働省に直接乗り込んで請願や要請、抗議でもなんでも行動してよいのだと言う。

そもそも医療行為などしていないし、やっている事は国にいわせれば「雑貨の製造」
厚生労働省に乗り込んで抗議や陳情をしようにも、門前払いが関の山のような気がする。

この先、国家の財政や方針が変わらない限り、医療も福祉も金次第の米国型社会になるのだろうか。
歯科医療の質も責任もブラックボックスの歯科医療保険制度だったが、質と価値を担保されなかったのは、厚生労働省の怠慢だったと思うが、それをいい事に、甘えてきたのも歯科医師であり歯科技工士なのだ。
財源が絞られ、国民の監視の目は強くなる。
この現状で、ブラックボックスを開示して、国民は我々歯科業界の危機や過酷な労働環境などに耐えてやっていると主張しても通らないだろう。

一度、グラウンドゼロに戻して、この経済状況と社会にとって本当に必要な医療と補綴、歯科医療業界を作り上げていくべきかもしれない。

歯科医療の価値は歯科補綴の価値そのものだった。 
しかし、歯科技工士の存在が正しく価値として評価されてきたかは、疑問に思う。
国から雑貨扱いにされても怒りもしない歯科医師や技工業界に何かを言う資格など無いのかもしれない。

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August 03, 2007

多摩丘陵が巨大な賽銭箱になると言う事

もう止めてくれ。 声に出して叫びたくなるのは私だけなのか。
何が幸せなんだあんた達は、踊らされ、奪われ、滅ぼされて行くのがわからないのか。

成長、市場、開放と言う日本社会の根底からの略奪と破壊が止まらない。
上辺だけは成長や社会の発展なのだろうが、それがどうしたと言うのだ。

生きること、社会の形とは何だろうか。
立ち止まって考えて欲しいのだ。

多摩市は昭和30年代から今日まで経済成長、市場形成と開放の具現化の象徴に見えます。
私は高校の同級が、今は多摩センターとなった周辺で農業を続けてきたごく当たり前の農家の次男坊であったため、親しい付き合いが始まった昭和50年代から今日に至るまでの、主に多摩センター駅周辺から私の家がある旧津久井郡までにかけての、多摩丘陵の変化をこの目で見つづけてきた事になります。

多摩丘陵は戦後東京に残された最後の開発として、戦後の高度成長期と人口増を見越して、官主導で二本の私鉄と将来的に沿線に人工30万人の住宅が作られることを計画して始まったとも言うが、最初の開発から50年以上が経ち、既にその役目は終えたはずなのに、計画と開発、市場の増殖だけが続いているように思えてなりません。

人口減少と巨大な負債を有する国家財政へとなった今、この開発と破壊の自己増殖とも言うべき、、一度動き出したら止める事が出来ないお役所計画の典型を、どこかで止めなければ、この国は持たない事にいい加減気付くべきなのですが。

縄文人の時代から、人々がのどかに暮らした多摩丘陵の豊かな自然、武蔵野の面影は、もはや跡形も無い。 開発初期の団地は高度経済成長を支えた人たちのリタイヤと共に役目を終え、新たなスクラップアンドビルドの声も聞かれるが、実態は捨てられた高齢化社会の象徴になっています。

ドーナツ現象とも言うが、相模原線の延伸に伴って進む開発が、同じ周期で高齢化し捨てられる街を、沿線に伸ばしているだけなのだ。 しかも、それはこの国の自然や文化の破壊だけに留まらず、今や市場開放と消費や浪費を増長させています。
新しい集合住宅や一戸建て、マンションの建設が、都市住宅整備公団から民間に引き継がれた形になっていますが、そのことは、既存の価値を根底から覆し、あらゆる世代の人間を麻痺させる形で資産や価値の略奪とに姿を変えてしまっているのです。

新世代への土地や住宅の提供と単純に思えますが、彼らは又、取り残されてしまった高齢化世代の代替わりです。 その数も減っているのにどうしてこれほどの宅地提供住宅建築が必要なのでしょうか。
それ以上に恐ろしい事は、巨大化する商業施設の乱立なんです。

それだけの需要があると言い切れるのでしょうか。 しかもそれが持続すると。

昨日、多摩市鶴牧の友人宅から自宅まで帰る間に、ケイヨーデイツー、ヤマダ電機テックランド、コストコ、カインズホーム、多摩境駅前のアクロス多摩境、アルプスと続き、国道16号に繋がる直前に業販専門大型店に続いて先月末にオープンしたミスターMAXと多摩センターの唐木田地区堀の内地区や南大沢地区、小山地区にかけて、これでもかと言う感じで巨大なショッピングセンターやホームセンターが軒を連ねているのをうんざりしながら見ていた。

試しにミスターMAXを覗いてみたが、ホームセンターやショッピングセンターと専門店街に出店している業種は、殆ど金太郎飴のようにどこも似たようなお店と商品ばかりです。 それが、巨大化した店舗にうずたかく陳列され、これだけの商品が在庫ともならず、短時間で回転し消費されているのかと思うと、恐ろしくすらなります。

日本は豊かになったと言いますが、その実感はありません。 むしろ格差と将来への不安が増長しているのに、目の前にある止まらない開発と市場形成、浪費がそれを生み出している現実には目を向けようとしないのです。

歯科医療業界が、歯科医院の増殖と歯科医師の止まらない増加で、今や淘汰の時代に突入した事は、業界人には否定できない現実です。
これと同じ事が、多摩丘陵に代表される都市部周辺での異常で止まらない開発と市場形成の行く末に重なって見えるのです。

官の計画も、民の行動も、止まる事はそれこそ国と企業の終焉に繋がるとの恐れから、ブレーキが掛けられないのでしょうが、歯科医療業界では、増えすぎた歯科医院や歯科医師に対し、無くてはならない歯科衛生士や歯科技工士の実質的な減少が始まっていますから、多摩丘陵だけではなくその様な業界全体がいつかはデッドエンドに到達するのは目に見えているのです。

なぜ止まらないのか、それは、価値や資産が日本国内ではなく、市場という形で米国や欧州の巨大資本などに略奪される仕組みそのものだからです。

歯科医師のとめどない増加は、厚生労働省の無為無策の結果ですが、それは過去20年間で徐々に進み、2000年を超えてはっきりと目に見終えるようになりました。 わずか数年の間に歯科技工士や歯科衛生士は過去に例の無い減少を見たわけですが、多摩丘陵の一見すれば華やかな開発と発展も、後何年続くのかわからない訳です。

国内に資産や価値が留保されているのであれば、再投資や緩やかな資産形成も期待できますが、現状は一方的な国民の持ち出し、収奪の連続だと言う事です。
しかも、そのスケールが、ホームセンターやショッピングセンターの巨大化にそのまま現れているように、いかに国民に気付かれないうちに、短時間で奪えるだけ奪おうと言う思惑が裏に隠されている事が怖い訳です。

巨大な開発、厚化粧の裏には、将来に渡っての成長や開発とは無縁の、立てるのも壊すのもさしたる時間や費用を要さない、金を吸い取る為の箱が置かれているだけなのです。
明治神宮などが初詣の為に、白い緞帳で仮設の賽銭箱を置くのと何も変わりません。
魂を抜かれ、形だけの信者達がつかの間の幸せを願って賽銭を投げるのをなんと呼ぶのか知りませんが、今の多摩丘陵が巨大な賽銭箱に成り果てている事に違いは無いでしょう。

賽銭箱をいくら大きくしても、いずれは国民には払える賽銭が無くなります。
歯科医療業界は歯科医院と歯科医師をいくら増加させても、患者さんや虫歯が増えるわけではありません。

歯科医療業界は、大事な保険制度や患者さんの健康、安心、幸福と言う資産を、無尽蔵だとでも勘違いしていたのでしょうか。 実際にはコップの中での収奪でなんとか生き永らえてきたのですが、コップの中には歯科医師しかいなくなってしまったのです。

多摩丘陵も後30年すれば、老人達の街になるのでしょうが、その時新たな多摩丘陵が周辺に出来て入る事は無いと思います。
今が最後だから、一気に大きく収奪に掛かっているのです。

今の日本で起きていることは、それぞれの業界の固有の事象ではありません。
根っこにあるのは官も民も本当の将来展望など持たず、今この刹那にいかに奪うかしか考えていない事なのです。 ブレーキの壊れたダンプカーは、荷台に積み上げても積み上げても吸い上げられてしまっている事に気付きません。

誰かがアクセルを緩め、ハンドルを切らねばなりません。 サイドブレーキでも路肩の街灯にぶつけてでもダンプカーを止めねばならないのです。

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