首相、大臣、政治家。その言葉の軽さ。
福田康夫首相が年金問題で「公約違反というほど大げさなものか」と発言した事から、最新の世論調査では内閣支持率が35%台へと急落したそうだ。
国のトップと言う立場であれば、支持率やら個々の事象に捕らわれる事無く、日本の舵取りをしっかりすれば良いのだろうけれど、国とは単に国土や軍隊が在るとか国際的な立場や面子を維持できればいいというものではないと思う。
そもそも国の安定や外交、国際的な評価とはなんであろうか?
イデオロギーの主張もあるでしょうが、それは往々にして対外的な作られた仮面になりやすく、イデオロギーで国民を洗脳したり縛っているような国家に対して、国際社会の信頼が寄せられる事は殆ど無いと思います。
では、米国的な自由社会でしょうか。
米国の信ずる自由とは、はっきり行って銃による暴力的な力による自由主義だと思っています。
80年代の終わりごろに、一応冷戦が終わりましたが、イデオロギーの暴力と銃による暴力の戦いが終わった訳ではなく、ソ連が一時引き、中華人民共和国が政治力経済力軍事力で躍進し、米国の銃による自由主義と対峙しているといえなくも無いでしょう。
もう一極にイスラム教とユダヤ人、キリスト教などとの宗教戦争が絡んで、米国はそれとの戦いを宗教戦争とは言わず「テロとの戦い」に言い換えた訳ですが、その際、あらゆる紛争、主義主張の諍いをひっくるめて米国の銃による自由に逆らうものは全て「テロ」としてしまったようです。
日本は資源も無い、四方を海に囲まれた極東の島国です。
しかも第二次世界大戦の敗戦国です。 北方四島は奪われ、竹島は韓国に、尖閣諸島は中華人民共和国に占領されたままです。
政治的なバランスや経済力、独自の防衛力を持たなければ、独立国としての立場を維持できない事は明白です。
戦後の日本、日本は果たして独立国だったのでしょうか?
私は今でも日本は半分も独立していない、米国の領土、属国の一部でしかないのだと思っています。
日本の社会システムは、GHQの中で日本国憲法を作り上げた、米国内の共産主義者によって育ぐまれたと、何かの文献で読んだ覚えがあります。
戦後の日本が、世界で最も成功した社会主義国家だというのも、当然なのかもしれません。
その様な社会システムの中で、一見、民主主義が機能し国民の人権や参政権、生活の安全や健康が保証されているような感覚を覚えますが、これらが高度にコントロールされているからだと考えれば、うなづける事柄が多数在ります。
私は歯科医療業界の中ではルサンチマンと呼ばれるような存在です。
しかし、日本と言う存在の全てが米国の銃に脅かされ、鎖をつながれた奴隷国家なのだと考えれば、
そもそも日本の総理大臣、首相という存在そのものが、只の奴隷頭であり、その公約や発言には何の裏づけも政治家としての重みも無いのだと思えてくるのです。
彼らの言葉の軽さ加減は、彼らが単なる奴隷頭であるのだと理解すればよいのです。
高度に洗脳されコントロールされた奴隷頭にとって、日本を米国の支配下に置く事は、至上命題です。
公約や国民の命、生活なぞ端から頭に無いし存在しないものなのです。
戦後の日本。
一見良く出来たような、民主主義国家の一員だと言う言葉を信じて多くの日本人が劇を演じてきました。
演じる事は信じる事です。
銃によるかりそめの平和を、見えない銃による支配を、見えないように見せないようにしつらえられた日本と言う舞台、言い換えれば奴隷国家。
私一人がルサンチマン?
では、あなたと言う存在はなんなのでしょうか?
福田首相に是非お聞きしたいものです。
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