続きの前に。 今日は津久井高校の手話勉強会
表題の如く続きの前に今日の報告から。
神奈川県立津久井高校には福祉科があります。
将来の看護師や栄養士、介護士、福祉士など対人援助に関わる医療職や専門職を目指す学生達が学んでいます。
手話を学んでいる生徒達が実際に手話も使う聴覚障害者と話しをしてみたいと言う事から、G3に指名が掛かりました。
このような依頼は都合がつく限り喜んで受けさせていただいています。
私自身は手話を日常会話で使うと言う事は殆どありません。
中途失聴者として手話を学んだのも社会人になってからです。
そんな私がお教えできるような手話の知識や語彙がある訳ではありませんので、もっぱら聞こえないとどんな事が起きるのかを分かりやすく伝えるようにしています。
学習で身に付けた手話を実際に使ってみたいと期待していた学生達には、話ばかりで手話はそっちのけの私に期待外れだったかも知れません。
でも私が伝えたい事は手話にしろ要約筆記にしろ聴覚障害を知るきっかけの一つ、手段の一つなんだと言う事です。
本当に大事な事は、それぞれが壁を作らない事、ハンデによる壁、制度による壁があったとしても、それを乗り越える努力を障害者もしているし、健常者や社会もそれを当然として欲しいと言うことなんです。
聴覚障害者として歯科技工士として、今の自分には夢のある話を出来ませんでした。
医療や介護の現場が崩壊している。
本当はどこも人材不足なのに。
30年近く前、身体障害者手帳の申請や手話サークルに入った事から、障害者仲間や社協のボランティア、青年ボランティアなどに関わり、その時高校生だった仲間の子供達は福祉施設で働いたり役場に就職したりで経験を立派に生かしています。
津久井高校の生徒達はこれから入試や国家資格に挑戦します。
彼らが夢や希望を持って社会にはばたきたい、人に寄り添いたいと願う時に、職場として制度としての基盤を整えるのが国や社会の役割であるはずです。
日本の医療や福祉の現場では、もしかしたらボランティアと言う言葉を履き違えているのかもしれません。
本来、奉仕と言うものはそれをする余裕が多少なりとも無ければ出来ません。
別にしっかりとした職業や収入がある人が、医療や福祉の分野で奉仕をする事をボランティアと言うのなら納得できます。
医療や福祉の専門職が、その職責を勤める上で無料奉仕をすると言うのはボランティアとは言わないはずです。
しかし、国や厚生労働省の政策や施策は医療職や介護職を無償奉仕のボランティアと決め付けているような所があり、都合よく高邁な理念を押し付けてきます。
これは大きな間違いです。
生徒達が夢を持てる社会はボランティアを押し付ける社会ではありません。
患者さんも障害者も医療職や専門職も安心し安定した生活が築ける社会基盤があってこそ、本当のボランティアと言う言葉が生きてくるでしょう。
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