形だけきつく縛っても、それは責任逃れに過ぎないと見るべきだ。
現状分析や多少の将来展望とで、ある程度の想像は皆さんにもできるはずです。
9日の記事で色々書きましたが、具体的なネタ元があるわけではありません。
しかし、色々な組織や個人から漏れ伝わる動きや情報を勘案してみれば、あながち間違ってもいない結論じゃないかと思います。
問題は、結論は何がなされ何が守られ、結果的に国民の生活や歯科医療の形がどうなるのかと言う事です。
大きな流れ、形として示しておきたいことは、先ず、国は実質的な責任を、それが憲法25条として国が負わねばならない責任であったとしても、形だけは国が負うように見えるようにはしますが、実質的な責任をひとつは歯科技工の海外委託問題で示されたように実質、「歯科医師の裁量権」に押し付けると言う事です。
そして、もうひとつ、餃子や牛肉とひとくくりにはできないかもしれませんが、口に入るモノとしては、裁判上は一度口にしてしまった以上は面子上引っ込められないこともあって、建前では雑貨扱いしていますが、ホテツ物、技工物そのものに問題があるとするよりも、それらが作製される場所や工程、素材、機材に安全性の担保を持たせることで、国や行政の責任はここまでだとしたいのでしょう。
これを、国の責任逃れだと責める資格が、誰にあるのかと言えば、それはやはり国民にでしょう。
なにか、責任というか、技工物の安全性が高められてすごく良くなるように感じられますが、実は、国の責任と言う意味では、そしてその責任の取り方と言う意味では、現状と何も変わらないです。
責任をどう形にして行政として行うのかと言う事に、確かに新しさや厳格さを見るような気がしますが。
厳密に言えば、責任の所在や、どんな場所やどんな機材やどんな材料が問題なのかと言う事については、設備構造基準やHACCPのような製造過程管理システムが機能すれば、技工物のモノとしての安全性やその責任の所在についても、形だけは担保されるようになるでしょう。
しかし、歯科技工物の特性から言えば、例えば食物のように食べてしまえば咀嚼されて型も残らず分解吸収されてしまうようなモノではないわけです。
ホテツ物は同一の口腔内でも同じもの、同じ嚙み合わせや形のものが存在しないものを、そしてチェアサイドでの施術においても歯科医師の手作業で行われることが殆どで、三次元的に全く同一の型から大量生産されるようなモノではなく、歯科医師の施術を経て一つ一つがまったく違った座標を持つ型から初めて数値化し手作りして行くものなのです。
ホテツ物とは作製されるモノ、技工とは歯科技工士によって行われる、その工程、作製に係わる全てです。
が、その作製の場所、材料、機材にいくら形だけ基準や罰則を果たしても、じつは大事な部分が抜け落ちていると言わざるを得ません。
そして、歯科技工士問題に限らず、歯科医療と言う国民の安心安全な日常生活を支えるものから抜け落ちているのも、同じものなのです。
それは何か?
人そのものです。 有資格者と呼ばれる歯科医療者の人としての資質、モラル、マナーそのものです。
今の歯科医療崩壊は、箱や機材や工程的な問題ではないと私は思っています。
国自体が、そのようなモラルや当然守られるべき憲法上の意味、法を尊守するという当然の事が、通知通達で反故にされてしまい、法があってないような状態になっているように、歯科医療の現場、歯科技工の現場にはもはや法の縛りもモラルもマナーもなくなっていることこそが、歯科医療崩壊の現実だと思います。
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