官僚支配がやっと表に出るようになった。
日本の官僚システム、国家公務員上級試験を通ったエリートたちの存在を何と言えばいいのだろう。
普通にキャリアだとかキャリア組だとかの表現を目にするが、その実態がどんななのかを知っている国民は少ないと思う。
私などはもっぱら警察小説で警察庁や警視庁のキャリア組がどんな風に出世し、祭り上げられていくかを作家の目を通して知るだけだ。
ミヒャエル エンデの小説「モモ」に「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちが出てくる。
生活空間のいたるところに居ながら、その実存在を誰からも認識されない男たちだ。
「モモ」の中で人々が灰色の男たちから奪われるのは時間なんだけど、現実の日本では国民の主権そのものが奪われてきていると思う。
日本の真の権力者とは実はこの灰色の男たちのような、キャリアと呼ばれる官僚達、或いはその総体としての官僚システムに在るのじゃないだろうか。
二つ前の記事で、民主党代表選は国民主権を実現する為の代表選でもあるとかいたが、灰色の男たちとして表には絶対に意図は出さないが、背後で実権と主権は絶対に渡さないとする官僚システムと、100年に渡るその官僚システム支配から、国民に主権を取り戻そうとする勢力との戦いそのものなんだと思う。
この関係について、田中良紹氏の国会探検の中にブログ記事を見つけたので紹介したいと思います。
あぶりだされるこの国の姿
民主党代表選挙によってこの国の姿があぶりだされている。「官僚支配」を続けさせようとする勢力と「国民主権」を打ちたてようとする勢力とがはっきりしてきた。
アメリカは日本を「異質な国」と見ている。「異質な国」とは「自由主義経済でも民主主義でもない国」という意味である。ある知日家は「日本は、キューバ、北朝鮮と並ぶ地上に残された三つの社会主義国の一つ」と言った。またある知日家は「日本の司法とメディアは官僚の奴隷である。そういう国を民主主義とは言わない」と言った。
言われた時には反発を感じた。「ロシアと中国の方が異質では」と反論したがその人は首を横に振るだけだった。よくよく自らの国を点検してみると言われる通りかもしれない。何しろ百年以上も官僚が国家経営の中心にいる国である。財界も政界もそれに従属させられてきた。「官僚支配」が国民生活の隅々にまで行き渡り、国民にはそれが当たり前になっていておかしさを感じない。
北朝鮮には顔の見える独裁者がいるが、日本には顔の見えない「空気」がある。「空気」に逆らうと排斥され、みんなで同じ事をやらないといけなくなる。その「空気」を追及していくと長い歴史の「官僚支配」に辿り着く。それが戦後は「民主主義」の衣をまとった。メディアは「官僚支配」を「民主主義」と国民に信じ込ませてきた。
全文は以下をクリックしてお読みください。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/09/post_232.html
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