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November 30, 2010

日本一新の会 臨時増刊号 ◎事務局にとっての「日本一新。」―その2

前記事では、講演会のご案内と共に、日本一新の会の事務局を務められている大島 楯臣氏の記事をお伝えしました。

皆さん、本当にボランティアでやっているんですよ。
お金目当てだったら、むしろ米国にすり寄った方が儲かるだろうし、国からお金を引っ張れるならそうやるでしょう。

小泉構造改革など、まさにそう言う事だったのだろうと思います。
パソナの社長に収まった竹中は2012年にも日本は破綻すると言っているようですが、ご本人は米国にすり寄りその備えをしていると言う事なんでしょう。

植草さんが『日本の独立』という本をお出しになったそうだ。
これは、いくら貧乏していても買わねばなるまい。

明るい憂国の士さんが、阿修羅に投稿されているのでご覧いただきたい。

植草一秀著『日本の独立』を読んで 渡邉良明 (植草事件の真相掲示板)


では本題、大島さんの事務局にとっての「日本一新。」―その2です。

 
◎事務局にとっての「日本一新。」―その2                   
                    
              日本一新の会事務局・大島 楯臣

 日本一新の会事務局は大分県日田市にあるが、こと新たに広報
したことはない。しかし、何かの機会でお気づきになったであろ
う方から「何で?」との問合せを頂いたこともあり、また「始め
て聞いた」方にも疑問を抱かれるだろうから、少し説明を加えて
おきたい。

(事務局の所在地)

 当地は大分県(ことわっておくが、ダイブ県ではなく、オオイ
タ)の西の端っこに位置する地理的特殊性から、経済圏は福岡に
属している。
 私が当地に移住した40年程前は「福岡県日田市」で郵便物が
届く、のどかな時代だった。ある友人が、首都圏から勤務する会
社の大分支店に転勤が決まり、奥方が「この度、主人がダイブ支
店に転勤になりまして」と周辺に挨拶した、などとまことしやか
に噂されたこともあった。
 ある時、東京から来客を迎えるにあたって細かい打ち合わせを
しなかった。「○日○時に、空港でお迎えします」と約束し、私
は至極当然のこととして福岡空港へ出向いた。ところが約束の時
間がすぎても客は現れない。その頃は携帯などなく連絡の術がな
い。空港の公衆電話からご自宅に電話を入れると「お約束通りで
かけましたよ」と奥様の弁。
 それでもしばし待つこと小一時間。そこでふと気づいたのが、
互いの「空港で・・」に齟齬があったのではとの不安だった。公
衆電話ではもどかしいので、福岡空港の全日空窓口に仔細を話し、
大分空港に問合せを願い出たが、あにはからんや客は大分空港で
待ちぼうけだった。
 その頃の高速道路は日田までしか開通しておらず、ここを小一
時間、その先は一般道で大分空港にたどり着くには優に3時間は
かかる。客を4時間も待たせるわけにも行かず、空港からはホバ
ークラフト、そしてバス、JRを乗り継いでもらって、これでも
待ち時間を含めて約4時間、互いに、半日がつぶれ日程は散散だ
った。

 そんな田舎町の人口は6万人強でここ数十年変動がなく、周辺
の町村を全部まとめて合併してからもそれは変わらない。つまり
周辺の町村が先んじて過疎化して人口が減る、もしくは周辺から
町中に移住するなどで、総じて過疎化が進んでいる典型的な「ど
田舎」である。
 こんな田舎町だが、江戸時代は少し違った存在だった。その理
由は、当時は徳川幕府の直轄領であり、九州に点在する所領を束
ねる西国郡代(長崎奉行はその配下)が政を行う永山府政所があ
った。因みに事務局はこの永山府政所跡の直近にある。
 正月には、九州の諸大名の国家老が、郡代に新年の賀詞を述べ
に出向いてくるという習慣があったそうで、天領という呼称は明
治以降のものである。
 また江戸時代は、「日田金(ヒタガネ)」という銀本位制の特
殊金融で潤っていた歴史もあり、現世でいう「民活」はこの地で
200年以上前から花開き定着していたのである。この「日田金」
を明治政府が召し上げてしまい、爾後「赤貧の町」として歴史を
刻んでいる。

(何故、日田に????)

 理由は単純で、「事務局を引き受けた私が住んでいるからであ
る」では説明にならないので、先を進める。
 一部の方には先刻承知と思うが、平野氏が提唱した初期の日本
一新運動の母体を「市民による日本一新の会」と称した。当初は
事務局を設けず、都度連絡を取り合い、必要に応じて関係者が上
京して会議を持った。
 その後、志信会々長(http://shishinkai.org/)、大西信弥氏
のご助力で東京は本郷に事務局を設けたが、財政的事情もあり、
常勤を配置するまで至らず、並行して活動も不活発となり尻すぼ
みとなったままだった。
 再び「日本一新運動の再興を!」との声が揚がったのは今年に
入ってからである。鳩山政権の迷走に加え、引き継いだ菅政権の
「小沢排除」は、政治史に残る政権交代の大義を失い、永年の国
民の大望をドブに棄てさる所行が顕著になったからで、その後の
ことはいうまでもない。
 再興にあたって一番腐心したのは、初期の失敗を繰り返さない
ことであり、それは「継続・安定」が主眼である。初期の運動も
大成を望んだわけでもなかったが、大きな固まりをつくることも
ママならず、拡がりを欠いたことも欠点だった。その反省をもと
に、思い立ったのは「ネットの活用」である。
 それは初期の運動のころもツールとしてはあったが、対象者は
限られていて、主立ったメンバーが打ち合わせに使うほどで、情
報をあまねく配布するには力不足であった。
 しかし、今日のネット環境は隔世の感があり、これを最大限活
かすことに異論は起きなかった。もう一点は「論説の縦組み」配
布である。
 メルマガ・日本一新を読んで頂いている皆さんは、「日本語を
読むのに、縦も横もなかろう」と思われるだろう。しかし、この
議論は専門家の間ではほぼ収束していて、文章の内容を咀嚼し、
意識として定着するには「縦組み文書」の優位性が関係者の間で
は知られている。
 この二つの課題を解決するには、変則ではあっても田舎に事務
局を置くことで実務をこなす。それは地方の時代のさきがけであ
り、ネットを駆使すれば田舎であっても運動の障害にはならない
と合意して発足した。ただし「縦組み文書配信」は未だ一部だが、
その他のことは、ただ今のところうまく進んでいる。
 
(これからの日本一新運動の展開)

 初期の日本一新運動から私たちには繰り返し口にしてきたこと
ばがある。それは日本一新運動の到達点は「小沢政権誕生」では
なく、あくまでもその入り口に過ぎないということだ。
 平野論説ではさわりしか述べていないが、端折っていえば「西
欧型資本主義」を乗り越えて、新しい価値観に生きる社会の創設
である。それらを集約したのが「自立と共生」、つまりは「国民
の生活が第一」だが、具体的な日常に置き換えたとき、それをイ
メージできる人は少ないのではないだろうか。ましてや、政治・
行政に、また隣近所を含む地域コミュニティーに、それはどんな
形になって現れるだろう。誤った民主主義と、便利・功利に慣れ
きった私たちには、今ひとつピンとこない。そこで分かりやすい
例をひとつ挙げよう。

 戦後しばらくの農村には「共同・共助」という意識が色濃く残
っていた。それは利水に始まり、田植えから取り入れまでの助け
あいである。しかも今とは違い、大半の農家が二毛作で麦もつく
っていたし、田舎の小・中学校には農繁期休校があって一家総出
で農作業をこなしていた。農家でない私たちにも休みは与えられ、
それはそれで樂しみだった。
 田植えも共同で利水の上流域から済ませる。耕耘機や田植機も
ない時代だから、動力といえば牛、もしくは馬だった。その牛馬
も全ての農家が飼っているのでなく、貸し借りがあったり、牛馬
を飼っている農家が田を鋤いてくれるなど、個別に動力農機具を
所有する現世とは、協働の質が今の比ではない。町家にも「向う
三軒両隣」という付合いがあって、そのコミュニティーは今とは
全く違っていた。
 とはいうものの、田舎には「隣が蔵を建てると、俺は腹が立つ」
とする人情もあって、それはそれとして競争も生きていた。

(成し遂げよう、平成の大革命)

 回顧録はこれくらいにして、日本一新運動とはふるき良き時代
の日本の姿を取り戻すこと、そしてなお、経済・人の交流など、
国境に垣根のない時代を迎えて、それらに逆らうのではなく、世
界の人々と手を携え合う社会・国家の建設、それが日本一新運動
の到達点である。
 明治維新は、下士を中心にした少数のリーダーが率いる武士の
集団が成し遂げた革命だった。しかし平成の大革命は、全くルー
ルが変質し、老いも若きも、男も女も、まじめな人も、そして私
のような不真面目な人間すらも等しく持つ、「一票」を束ねなけ
れば成就しないことに難しさがある。
 維持会員、読者諸兄のお力を借りたい所以である。

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