朝日新聞政治からの卒業を!◎「日本一新運動」の原点―43
(朝日新聞政治からの卒業を!)2月21日(月)の朝日新聞社説は『小沢氏流を超えて―「政
局」政治からの卒業を』という大論文を掲載した。私の長い政治
生活で、こんなに“面白い社説”を目にしたことは記憶にない。
折角のことだから、大いに参考にして「日本一新―メルマガ社説」
を述べさせてもらう。
朝日新聞の病、いよいよ篤しの感が深い。市民派と詐称する菅
直人首相に、朝日新聞幹部記者たちが政権運営をアドバイスし、
延命策のつもりがことごとく裏目に出ている。「小沢を叩き、排
除を徹底すれば支持率は上がる」とか、「社会保障と税の一体改
革、消費税率アップで、首相のリーダーシップを国民は評価する」
などが、国民から反発されている事実を朝日新聞は知らないよう
だ。こうなると、菅首相にはいたって気の毒で、ご同情申し上げ
たくなる。朝日が指導する政治とは何かを、改めて見つめ直さね
ばならない。国会内外で、菅首相の退陣論が公然と語り始められ
た責任は朝日新聞にあるといえる。
ここ20年来、「小沢」か「反小沢」かと、日本政治を枠づけ
て対立構図をつくってきたのも朝日新聞であった。
平成21年3月、西松事件を東京地検特捜部と社会的に共謀し
て、「小沢とカネ」をつくりあげてきたのも朝日新聞であった。
何故に朝日新聞が、時の権力側に寄り添って「小沢排除」に血道
をあげるのか、その理由はとくと検証しなくてはならない。
その第一は、経営事情からの問題で、当面は「納税者背番号制
度」に国民の反発が強く、政府広報費(税金)を少しでも多く配
分して貰いたいからである。小泉内閣で「裁判員制度」を導入し
たとき、巨額な広報費をマスメディアにばらまき、小泉ポピュリ
ズム政治を成功させたことは記憶に新しい。それ以来、巨大メデ
ィアの「社会心理的暴力装置」が露骨になったと思う。
私の得た情報によれば「納税者背番号制度広報費」の談合は、
昨年暮れに行われていて、報道現場の判断で、「菅政権を支え、
小沢叩きをうまくやれ」という方針を、朝日系では上部から流し
ているらしいとのこと。そうであるならば、朝日新聞の論説やコ
メンテーターの星浩氏らは、社の経営を背負って頑張っているわ
けで、ジャーナリストの良心を捨ててまで誠にお気の毒と言える。
第二の理由は、朝日新聞の体質である。 私は昨年10月9日
付の「日本一新運動の原点―22」で、戦前の論説について批判
しておいたが、改めて要点を説明しておこう。
敗戦直後の昭和20年8月23日付の朝日新聞の社説は『自ら
を罰するの弁』というものであった。要旨は、満州事変勃発直後
から第二次世界大戦終了まで、大政翼賛会の発表をそのまま記事
にし、戦争賛美の論説を書き続け、国民に多大の犠牲を強いる先
導役を果たしたことに対する反省であった。この社説は、日本フ
ァシズム推進に対する懺悔だといえる。
それから65年が過ぎ、朝日新聞は情報社会化した21世紀で
「新しいファシズム」の旗手を担ってしまった。少なくとも「小
沢問題―政治とカネ」では、「社会心理的暴力装置」として検察
とのコラボレーション、菅政権を支えながら「小沢排除」を断行、
ファシズムの正体あらわである。民主党を支配する輩は、朝日新
聞論説の奴隷となって大活躍している状況が、ただ今の菅・岡田
政治であることを知るべきだ。私はかつて「日本人痴呆60年周
期説」を提起したことがるが、このままでは「朝日新聞ファッシ
ョ化60年周期説」を論じなければならなくなる。
そんなことを考えていた矢先の2月23日(水)、朝日の社説
は『小沢氏処分―真の区切りとするために』を掲載した。「小沢
問題」を「自民党長期政権時代から繰り返されてきた日本政治の
宿痾(しゅくあ)とでもいうべき問題・・・・」と論じている。
「宿痾」とは「長い間治らない病気」のことだ。民主党執行部が
行った「小沢処分」は、メディアが偽造し流布した情報だけで、
「小沢排除」を決めたものである。手続も党規約に違反した「永
久党員資格停止」で、小沢氏の異義に対する文書回答要求も「前
例がない」と拒否した。正常どころか、議会民主政治の砦とも言
うべき政党としての体をなしていない。しかもである、直前にな
って役員等を反小沢派の人物に入れ替え、三月中に策謀していた
菅首相を首にして、その後に行うべき代表選挙に小沢氏を出馬さ
せないようにするための謀略であったのだ。
ナチスどころか、スターリン時代のソ連共産党と同じレベルの
ことが、議会民主政治国家と稱する、「日本国」の政権与党であ
る民主党が行っているわけだ。それを、私がかつて、もっとも、
“尊敬”していた朝日新聞が指導している現実を、どう判断して
良いか迷っている。朝日新聞こそ、日本ファシズム化の「宿痾」
を持っているといっておこう。(わずかに生きているメディアの良心)
一般の人には馴染みは少ないが、仏教関係の専門紙に『中外日
報』という新聞がある。2月22日の社説が「判決が出るまでな
ぜ待てないか」というものだ。貴重なものなので、要点を紹介し
ておく。早稲田大学の憲法学教授・水島朝穂氏が、NHKラジオ
で発表した話である。
水島教授は全国紙だけでなく、主要地方紙38紙を対象に、
「小沢問題」をとりあげた社説を分析している。全国紙の、小沢
氏に対して「政治的けじめをつける時だ」とか、「市民の判断
(による強制起訴)に意義がある」との主張に影響を受け、地方
紙のほとんども横並びの小沢批判の社説であったとのこと。
その中で、検察審査会による「強制起訴」の仕組みに疑問を投
げかけたのは、『信濃毎日新聞』と『琉球新報』の二紙だけだっ
たことを紹介している。『琉球新報』社説は、「疑わしきは法廷
へ」という図式だと、「大衆迎合主義が横行して、裁かれなくと
もよい人まで被告人にされるのではたまらない」と主張している。
『中外日報』の社説を執筆した論説委員から手紙をいただいた
が、そこには「このたび正論を書いたのは信濃毎日と琉球新報、
80年前、反軍社説を掲げたのは信濃毎日と福岡日日(現西日本
新聞)の二紙でした。どちらの場合も勇気ある論者が二紙だった
のは、単なる符合でしょうか」と書かれていた。日本のメディア
に僅かながらも良心が残っていることを知って感動した。80年
前の戦時体制と同じ構造が、新聞の世界に見られるのはメディア
論として検証すべきことである。
しかし、現代が80年前と違うのは、高度情報社会という文明
の移動が行われてることだ。朝日新聞もテレビなどの情報手段を
持っている。私たちも、ネットという情報手段を格安で、日常普
段に活用できるようになったのだ。それはパソコンだけではなく、
携帯電話を兼ねた新しい情報端末が日々めまぐるしく更新されて
いる。
朝日新聞がこれ以上、社会心理的暴力装置として、ファシズム
化を促進するなら、それを阻止するのも「日本一新の会」の役割
と任じている。ことと次第では、朝日新聞の本社を、「人の鎖の
輪」で取り囲むこともできる時代なのだ。
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朝日新聞と言ったら、私の頭の中に在るのは戦中の朝日グラフ。
今は取り壊してしまいましたが、ビルド&ダメージさんの工場の辺りに、土蔵がありました。
手入れが悪かったからか、震災の時のままだったからか、土壁は崩れ中も足の踏み場も無いような埃だらけの土蔵でしたが、二階には木箱に入った戦前や戦中の雑誌や本が入っていました。
中でも多かったのが戦中の朝日グラフ。
今も目に焼き付いているのが、多分満州だろうと思われる草原をはるかかなたまで馬と行軍する日本兵たちの姿。
勇ましく皇国、行軍、勝利と言った見出しが躍っていたと思います。
あれを見れば、朝日グラフの親会社である朝日新聞が日本軍の広告塔となって、戦争を美談に仕立てて国民を戦争に引きずり込んでいたのがよく分かります。
それに懲りていたからでしょうか?
物心ついた時から、家で新聞と言えば東京新聞でした。
しかし、東京新聞もいまいち信用できませんね。 何なんだ、なんでもかんでも小沢さんに絡めて。
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