渡辺、豊田両氏は政権交代の貢献者 日本一新の会 達増 拓也
◎シリーズ小沢一郎論―16 日本一新の会 達増 拓也 (岩手県知事) (渡辺、豊田両氏は政権交代の貢献者)あの、16人の「民主党政権交代に責任を持つ会」(通称:民
主党国民の声)、会長の渡辺浩一郎氏と会長代行の豊田潤多郎氏
は、細川連立政権が誕生した平成5年(1993年)の衆院選で
当選した、改革の政治のフロンティアランナーである。渡辺氏は
日本新党、豊田氏は新生党で当選し、その後、新進党、自由党、
民主党と歩んできている。自由党と民主党の合併の際、選挙区調整で、それまで総支部長
をしていた小選挙区を譲ったり国替えをしたりと、政権交代の大
義のために犠牲を払ったお二人である。平成8年(196年)の
衆院選以降、議員ではなくなったが、党の総支部長などの役職に
就き、党活動を展開していた。私も、党関係の行事など、さまざ
まな機会にご一緒していたので、よく知っている。その積み重ねの上で、平成21年(2009年)の政権交代選
挙で、当選を果たしたのである。お二人の長年の労苦が報われた
のだと思い、私も本当にうれしかった。その政権交代の大義が、今、大きく損なわれようとしていると
きに、渡辺氏を会長、豊田氏を会長代行として、16人が決起し
たということは、心から理解できる。決起した16人は、他のメンバーも知る人ぞ知る、改革の政治
に身を捧げた勇者たちである。そのような16人に対し、不勉強
から理解を示さないマスコミ論調や、一部政治家の恥ずべき侮辱
的発言があるのは、非常に情けない。政権交代の大義を守り、改革の政治を力強く進めていくために、
日本政治はもう一段の大転換を必要としているのではないだろう
か。
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☆デモなどの街頭活動について
以前からデモに関するご意見は事務局に届いているが、その基
本的は立場は、先に川上みつえさんの居酒屋集会集会で、参加者
の質問に答える形で平野代表が示したとおりである。関連して、過日どこかで開催されたデモでトラブルが発生した
らしく、そのことに関するメールも届いているので、確認の意味
で事務局の見解を述べておく。
一昨年の夏、某掲示板上で「国会周辺の無届けデモ」が提案さ
れたが、その時私は個人的立場で、非常に危険であると警告した。
まずは「国会周辺」であること、二は無届けであること。これ
は逐一説明する必要はないと思うが、ネット上の顔も知らない、
HNだけの交流で「現地集合」とは無謀というものである。転じて、今回のトラブルが如何なるものか、その当事者でもな
く、現場にいたものでもないことから、いずれかに与することは
しない。これが事務局の立場である。但し、それぞれの主張は、
ご自身のブログなり、掲示板に掲載することは当然の権利である。と言うことを書いていたら、平野代表の『朝日新聞の本社を、
「人の鎖の輪」で取り囲む』という、物騒な一文が舞い込んだ。
人の鎖もデモの一手段だが、おぼろげな記憶にあるのは、福岡の
板付米空軍基地(現福岡空港)と取り囲んだ静かなデモである。
無論、シュプレヒコールはあったが、現在のような拡声器もなく、
メガホンだから大人しいものであった。しかし確りと統率され、
今ほどの混雑ではなかったが、交通整理も自分たちで役割分担し
て、交通警察の手を患わせることはなかった。しかし、機動隊は
寸分の隙もないほど配置されていたが、人の数は多いものの、あ
まりにも統率が行き届いていたから、やることもなく、ただ突っ
立っていたのを鮮明に記憶している。「小沢支援」を標榜する皆さん、ネット上の討論・論争ではな
い非難・罵倒、誹謗中傷は止めようではないか。それは直接の事
実を知らない世代でも、浅間山荘事件は映画化され、それを見た
人もあるだろうと思う。つまり、かつては仲間であった戦友を、
意見が異なると言う理由だけで、次々にリンチに掛け、平気で命
を奪うのである。その究極が、浅間山荘の管理人の奥さんという
まったく関係のない人を人質に獲り、果ては銃撃戦までやって、
無辜の命を奪った。
今の私たちは、これとまったく同質の所行を繰り返している、
菅・岡田政権と対峙しているはずである。だとするならば、その
手法は、せめて仲間内に対しては節度ある対応が求められると私
は思う。ご一考を期待したい。
民主党のユダ、岡田幹事長らは、2011年度予算の採決欠席を理由にこの渡辺氏を党員資格停止にしたようだね。
この岡田に限らず、お前たちこそ党員じゃないぞと言ってやりたい奴らが、一杯いるのが今のアキカン内閣。
この内閣のご臨終をひたすら待ちます。
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