まるで金太郎飴みたいな、日本と言うシステム
日本一新運動の原点57号が届いています。
末尾に添付させていただきます。
議会政治での「嘘」を許してはならぬ。菅首相退陣の為の内閣不信任案の提出を。
平野さんが57号で指摘されている事は、尤もなことであります。
小沢さんに対する「嘘」と言うモノが、国会だけではなく、この国の国民そのものまでも壊してしまっていると私は感じています。
そしてその根底に在るのが、所謂「本音と建前」の使い分け、使い分ける事をそれを当然の権利だとばかり勘違いしている国民一人一人の認識でしょう。
本来、「本音と建前」の使い分けとは、お上に対して、或いは権力を持つ者たちに対しての、庶民の、或いは弱い立場の者たちの生活の知恵とでも言うべきものであると思います。
現実に権力の地位にある者たちや、国家の責任ある立場に立つ者たちには、庶民であるとか弱い立場のものとは違った使い分け、矜持と言ったものがあってしかるべきでしょう。
しかし、今の空き缶首相や枝豆幹事長、岡田幹事長や安住と言った面々には、本音と建前の使い分けに矜持どころか、国を守り国民生活を守ると言う意識も無く、国民や諸外国を欺き、自らの地位に執着するにおよんでは、建前すら破綻しているのも恥じることなく、嘘をつき続けている訳で、解散をブラフにしているようだが、現実には落選の危機に在るのは、空き缶や枝豆、岡田と安住と言った国賊の輩であって、不信任案に賛成するであろう議員達では無いと思う。
国民は何故に、そんな「嘘」や「本音と建前の使い分け」に疑問や怒りを持たないのだろう。
すくなくとも、国家のしかるべき地位に在る者にとっては、その責任は、庶民のそれとは比べるべきものではないと思うのだが。
日技と日技政治連盟の関係も、まさに「本音と建前の使い分け」そのものだと思う。
悲しいのは、日技がつく「嘘」程度の認識で、空き缶や岡田らが嘘をつき、それを「本音と建前」の使い分けくらいにしか感じていない事だろう。
それはとんでもない事である。
国民が民主党に政権を取らせ、期待した事の一つは、これまでの自民党政権や官僚達による、国民蔑視とお手盛り利益誘導を、止めさせること、使い分けを「嘘」を許さない事であったはずだ。
すくなくとも、鳩山さんまでは、その流れで来ていたと思う。
しかし、鳩山さんは渡すべきバトンを、最悪の集団に渡してしまったと言う事なのだろう。
日技を牛耳っている程度の人物と変わらない、志も無い、利権や私欲に汲々とした人物達が、国家の中枢に居座り続ける事の最大の被害者が、この国であり国民なのだと言う事だろう。
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