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March 01, 2012

乗り越えたらそれで終わりなのかな??その2

聴覚障害を乗り越えたとか言うつもりはない。

聞こえないことのプレッシャーは常にある。
ただ、それだけに追い込まれていたら思考と内なる声だけで私自身の脳内が潰れてしまう。

自分自身の思考や響き渡り駆けまわる音なのか声なのか耳鳴りなのか、止まらない何かから逃れるために、私自身は活字を追い映像を追い、視覚に入るもので暴走する思考と置き換えているような気がする。

人が生活するということは、時間との戦いでもある。
睡眠もまたその一つとなる。

私のような聴覚障害者にとっては特に。

あまり人には言わないのだが、自分にとってのプレッシャーの一つが、時間を守れなくなってしまうこと。
寝過ごしてしまうことがいつも怖い。

音声での目覚ましは役に立たない。
余程の大音量でもない限り、通常のラジカセ程度では、ん?今はラジカセはないのか・・・
今だったらCDとかDVDのコンポか。

例えば何十Wのステレオコンポにタイマーをつなげて、朝6時にセットしたとしよう。
自分が起きれるような気がつくような音量は100デシベルを超えてしまう。
大音量である。

一度か二度やったことがあるが、はっきり言って近所迷惑である。 家族からしたらたまったもんじゃないだろうか。

そんな訳で、バイブアラームや振動腕時計とか色々使ってきたが、今ひとつ信頼できないし壊れるし。

こんな事がプレッシャーだと言ったら笑われるんだろうが、多くの聴覚障害者には深刻な問題だと思うよ。
とりあえず、新しいバイブアラームを買うつもりなんだけど。


さて、思考である。

人は生きる上で常に何かを問題と捉え、乗り越え乗り越え生きる。
歯科と歯科技工業界も常に数多の問題を抱え、関わる全ての人達が乗り越え乗り越えやってきたのだろうとは思う。

その過程で、私達一人ひとりは何を感じ、何を考え、何を乗り越えてきたのだろうか。

一人の歯科技工士が乗り越えてしまったのだから、その問題は乗り越えられなかった歯科技工士個人の問題だとなってしまう事なのだろうか。

私にはどうしてもそうは思えないでいる。
私が抱える、私の身体自体のそも、外からは見えない鼓膜や聴神経やなんかの問題なのではない。

歯科技工士や歯科業界が乗り越えなきゃいけないのは、そういう個人の身体や能力の問題なのではなく、もっと構造的な社会や世の中や、人と人としての関わりの問題なのだと思う。

そこがわかっていない人たちは、そもそも、乗り越えなきゃいけない業界や構造の問題には目も向けない。
おかしいのは、大抵の人がその問題を認識しているということである。
実際、そのような方の書く文章やコメントを読むと、確かにそういう問題を乗り越えてきたとはっきり言っているわけである。

そんな思考や感受性の人間ばかりだから、言ってみれば業界の悪しき慣習や構造的な問題、パワハラ、料金問題、法律問題などが、業界の常識とされるばかりで暗黙知となって何時までもスルーされ続けるのだろう。

乗り越えた人も中には居るのだろう。
しかし、その過程での乗り越えねばならなかった問題はそのままである。

私は、乗り越えたと誇る人よりも、その問題を常に意識し直視し戦い続ける人をリスペクトする。

何故ならば、問題は何も解決していないのだし、乗り越えたといっている人にしても、そもそも戦っているのはてめえの目の前の閉じこもった空間の中でのことでしか無いのだから。


こんばんわ・そしてはじめまして

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Comments

はじめまして。  読ませていただきました。
「何故ならば、問題は何も解決していないのだし、乗り越えたといっている人にしても、そもそも戦っているのはてめえの目の前の閉じこもった空間の中でのことでしか無いのだから。」
これもおそらく大抵の人は(本人も)認識しているのでしょうね。
そして戦う人を見る目はしらけムードという・・・私はその中の一人です。

Posted by: 匿名ですが | March 01, 2012 12:53 PM

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