2月も駆け足で過ぎていった。
仲間や友からの便りに、無事であれと祈る。
今も動く人はいる。 それが無性に嬉しい。
昨年秋からFBを始めた。 スパムやなんかが多いと聞いて胡散臭く思っていたが、実際、スパムは多いものの、やってみれば懐かしい名前、憧れの存在、新しい出会いと存分に楽しませていただいている。
好きなバイクやB級グルメの話ばかりではなく、国政や原発や医療福祉の面でも、それぞれ当事者や問題意識のある人達の価値ある意見を拝見できることで、自分にも新しい視点が生まれてくるのが分かる。
飯の種にはならないかもしれないが、筋を通すという意味では、今も動く人達の存在への感謝も含めて纏めておきたい。
2010年5月13日の記事で「歯科の棘を再考する」と書いた。
お読みになった方も多いだろう。
あれから3年近くが過ぎようとしているが、棘は抜かれたのだろうか。
昭和63年の大臣告示や7:3問題、通則5の解釈において、勝ち組だ負け組だと言うのはたやすい。
岩澤氏はそれらについて、法律や行政面から、
この大臣告示の根拠である健康保険法から順を追って法的な委任委譲の連鎖をたどり法令文を論理的に解釈すれば、「歯科技工と関係の深い」診療報酬点数がどの様に構成され形成されるのかを、この「通則5」が説明していることが理解できます。
と解説されている。
それには異論の出しようがない。
歯科の棘を再考するでは、
解(これ誤字ですね。正しくは会です。)や対立者双方のそも、なぜ対立があるのか?棘と呼ばれるものがそれが「大臣告示」や「7:3問題」なのだと言うのであれば、それは何故その時代に出てきたのかと言う部分には、何一つ目を向けないからだ。
と書いてみたのだが、どこからもこれへの回答はいただけなかった。
日歯が昭和51年に発行した歯科医療問題の展望にあるような(一番触れたくないのが日歯自身なのだろうが、こんな、如何にも反省していますと言うような本を発行して見せなければならないくらい、当時の日歯は追い込まれていたのだろうし、歯科医療費の問題で国民から不信を買い不満を寄せられていたのだろう)歯科の料金問題に対する国民の目線は厳しく、国会での論争ともなれば歯科診療報酬の問題を持ちだしたくとも、自費(自由)診療や実質的には混合診療となっていた、保険診療と自費診療の権利を失うことを恐れて、とにかく国会や国民に対しては恭順の姿勢を示すしか無かったのだと思う。
悲しいかな、この本はその(1)と名打たれていたにもかかわらず、その(2)もその(3)も一向に発行された気配がないことである。
なぜ、発行せずに済んでしまったのだろう。 追求は止まったのか。 なぜかが問われる。
岩澤氏は歯科の棘を抜くという論文?を歯科技工学会でも発表したわけだが、日歯が反省本を出さねばならなかったのも、岩澤氏の論文も、元はといえば歯科の診療報酬や、歯科医療の費用の問題に行き着く。
歯科の特殊性、皆保険制度での歯科医療と言いながら、制度に組み込まれた頃から、歯科は差額や自費治療と言う形で、今で言えば混合診療的に、診療料金は保険報酬と自費料金とを使わけてきた。
天井知らずの高額な差額料金の存在は、昭和40年代には消費者問題として国会での審議の対象にもなったのである。
今ならダンピング競争で、逆の意味で消費者や国民の不信を買って居るのは皮肉なところ。
ここで、歯医者さんが診療も技工も全部をやっていて、料金の出入りも患者さんと歯医者さんの取引だけなら問題にならなかったかもしれない。
所が、歯科医療というサービスでのお金の流れはそんな単純なものではなく、歯医者さんの収入の多くは患者さんから直接いただく自費の報酬だけじゃなく、むしろ皆保険制度での診療報酬方が大半を占めていたし、出て行くものと言ったら、自分やスタッフへの報酬だけではなく、委託技工という歯科技工士や歯科技工所への外注分が計上されていたのである。
患者さんに装着される、自費と保険の入れ歯や銀歯、瀬戸物の歯が、歯医者さんお手製のものではなく、一般的な工業製品でもなく、材料屋さんから買う機材でもなくて、どこの誰でもが作って構わないものだと言うものでもなかったことが、問題をややこしくする。
歯ブラシや抗生物質、痛み止めとも違うのである。 既成品を買って渡せば済む話では無い。
そして仮に外注するにしても、どこの誰が作っても構わないというのだったら、ただの労働問題で済んだかもしれないのである。
そうならなかったのは、悲しいかな歯科技工士法という歴とした法律があり、歯科技工士という国家資格が存在していたことである。
歯科医療におけるお金の問題は、歯医者さんが高収入だとか、今ならワーキングプアだそうだが、表面的なものだけじゃなく、モノによっては高額な治療費の問題だけではなく、歯科技工士と言う国家資格があって、歯科技工を業としている専門職に対して、では、その対価を歯医者と歯科技工士の単純な相対取引で処理してしまうのか、患者さんや国の制度との関係も含めて適正に処理し、解決を図るのかという大きな問題なのであったと思う。
昭和50年の第75回国会衆議院予算委員会に、時の日本歯科医師会副会長斉藤静三氏、日本歯科技工士会会長森谷誠司氏が参考人として招致されている。
同じく社会労働委員会では斉藤静三氏と日本歯科技工士会専務理事の佐野恵明氏が参考人招致されていた。
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ココらへんのことについては、ここでも書きました。
そら因果応報というもんだ。歯科医療問題の展望。
私の視点や見解は異端なのだろう。 負け組まっしぐらなんだろう。
しかし、何に対して負けたというのだ。
資格もある、法律もある、医療保険制度に位置づけられていないだけで、真っ当な労働の対価も要求してはいけないのか、歯科技工士の意味を問うてもいけないわけなんだろうか。
国会で訴え、国民に訴え、裁判所に訴えても、歯科技工士の存在は何一つ変わらない。
扱いはゴミのままだ。
これまで、技工士の視点でばかり考えてきたが、基本変わらないものの、歯科医師会や技工士会以外に、これまで制度やお役人としか認識して来なかった厚労省の官僚の方たちの考えが、一連の歯科医療問題でも自分が考える以上に大きく重要なファクターを持っているのではないかと思うようになった。
それも、FBでの刺激が大きい。
昭和50年第75回国会の、各委員会で取り上げられた歯科の問題は、単純に歯科医師会や歯科技工士会だけの問題だったのだろうか。
或いは、消費者や国民と歯科業界との。
そうではなかったのだと思う。
審議しているのは委員会の国会議員であり、呼ばれたのは民間組織の人間だが、本当の意味で責任を問われたのは実は、行政なんだと思う。
この場合、厚生省の歯科医療政策が直接的にも間接的にも、国民や消費者から問われていたのだということを忘れてはならない。
厚生省、今の厚労省だが、国政においては官僚など省庁の役人は事務方として影の存在のようであるが、実は本当の主役はお役所や官僚なのだと思う。
患者と歯科医師会と技工士会の諍いのように見えても、いつ何時、厚生省の責任や医療政策に国民の厳しい目線が向うか分からなかったというか、官僚側としてはこのような問題が国会の遡上に上がった時点で、行政側の失点と受け止めたはずだ。
日歯や日技の動きや、自民党への働きかけ、議員からの圧力も当然、厚生省の官僚には届いていたのかもしれない。
厚労省はどうするか。
時の医政局は大きな課題を背負ったのだと思うのだが。
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